日記・コラム・つぶやき

福利厚生部の企画で「テーブルマナーを知ろう」が開催された

2月26日(日)パレスホテルにおいて「テーブルマナーを知ろう」という食事会が開催された。

講師は、パレスホテルの吉村ソムリエ。フランス料理をいただきながら、その時々のマナーを伺った。いろいろなエピソードを交えながら、質問にも気軽に応じて下さり、具体的にいろいろな事を教わった。


ソムリエはワインの選択にとどまらず、場のセッティング、料理を出すタイミング、お客さんの気持ちや要望に対応、気配り、、等をしている。美味しくいただく、楽しい雰囲気作り、満足して帰ってもらう、それらは人を相手にしている職は皆そうだ。

吉村ソムリエは、話し方で言えば、どんなこともまず受け入れて、「それもあり」と肯定してもらえるので安心する。穏やかな表情とキンキンしてない音質でなじみやすい。豊富な知識と体験が、何にでも対応して話が出来るなど、STにも大事な要素を備えておられた。どうしても厳しい目で見てしまうSTの悲しい習性でついマイナス面をつけ加わえると、話が入れ込み式で、出てきた言葉がつぎつぎ展開していくので、ダラダラ感が出てくるかなと思った。それだけ言いたい事がいっぱいあってして下さったのだと思うが。

県下にシニアソムリエが2名しかいないということに驚いた。そして、そのソムリエを今回紹介してくれたと丸井前会長は、17年間もお付き合いして来られたと聞いて改めて凄いな思った。

Kennsikai_r000

| | コメント (0) | トラックバック (0)

天野 祐吉さんの講演「ところで言葉は元気かな」から

第61回高知県芸術祭幕開けの日に コラムニストとして知られている天野祐吉さんの講演があった。

グリーンホールは500名の定員だから、早くから受講申し込みをしていた。

演題は「ところで言葉は元気かな」 CMについていろいろ書いている人だけあって、キャッチフレーズがうまい。

「東京から高知まで1時間ちょっとで来てしまいました。」という言葉で始まった。昔、龍馬さんなら何日もかかったであろう距離を、日帰りすることが出来るようになった。「良いんでしょうかね?」と。

便利で効率よく暮らすようになって、得をしたのかというとそうでもない。捨てたものも多いし、かえって忙しくなった。

その通りだと思う。

料理家の辰巳芳子さんも「便利だけを追求してきたら虚しさが残る」といっていた。

教育の話の続きにもなるが、効率を優先して、無駄を排除し、ゆっくり考えたり、自分の答えを言葉にしたりすることをやらなくなっているのではないかと思う。試験を効率よく採点するために行われている方式が、なぜか学校教育全体のやり方になっているようだ。

答えは1つ、4者選択。  これに慣らされると考えなくなる。

天野さんの話の中に出てきたユニークな答えに大笑いしてしまった。父母面談の時「お宅の息子さんはちゃんとまじめに答えないので注意してほしい」と教師に言われた。どういうことかと聞く。その時の問題は 「織田信長は誰に殺されたか?」 というものだった。答えは1つ、たぶん明智光秀が正解で他はダメなのだろう。みんなそう答える。その子の答えはどうだったか? 「僕じゃないです。」

その時の親の反応も面白い。「間違いではないですよね」。――可笑しくて涙出して笑った。


かくいう私も効率の良いのは好きだ。持ち時間が限られているのだから、何でもない事にだらだらと時間を使いたくない、と思うからだ。速く片付けて楽しい韓国ドラマを見よう、と思っているのが大きな要因? 飛行機は良く使う。電気製品大好き。コンピューターも、便利グッズも。この便利さを捨ててしまう勇気はなかなか持てない。

でも、でも、、このままではいけない。

笑いとユーモアがいっぱいあった江戸時代には戻れないけど、もう少し余裕のある生活に日本がシフトしていけたらいいなと思う。東北大震災と福島原発問題は多くの犠牲を払ったけれど、そんなことを多くの人に考えさせたと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

研修について・その2

昨日、大学での2つの講義風景をテレビで見ました。

一つは、たまたまチャンネルを回していたら「白熱教室」という文字が見えたので、あのサイデル教授の授業のことを思い出し、授業の進め方に興味があったので見ました。テーマは「日米関係を考える」。場所は慶応大学でした。

もう一つは新聞テレビ欄に「池上彰の現代史講義」というのがあったので、難しいものを分かりやすく解説することで定評のある人のやり方、これもどういう風に講義するのか興味がありましたので意図してチャンネルを合わせました。テーマは「チェルノブイリと福島原発」。場所は信州大学でした。


いろいろ感じることがあって面白かったです。いかに正確に速く知識を得るかという目的と、持っている知識を使って考えたり、人の考えを聞いたりして深め、広げるためのものと、目的が違うので、どちらが良いとは言えません。が、大学という所は何をするところでしょう。もっと大きい目的は何なんでしょうね。


日本の授業は、小学校から大学まであまり変わっていないようで、、小学校でも黙って座っておとなしく聞くというのが一般的のようです。

私の子供のころは「はい、はい、はい!」と大きな声で先生に呼びかけ、当てて、当ててとアピールしたものです。そんな光景はどこに行けばあるのでしょうか? 幼稚園生何人もが口をそろえて同じ言葉を言う映像を見るたび、ああ、言わされているのだなと思います。

韓国の大学の授業を受けた事がありますが、予習なしには出られません。黙って聞くだけということもさせてもらえません。いるだけでは意味がないからです。日本人は固まってひっそり、おとなしくしていました。

考えることも、考えたことを言葉に表わす事も、学習して訓練して獲得して行くものと思います。

知識なんかは今やネットを使えば簡単に凄い事を教えてくれるので、さしたる努力は要りません。自分を表現する方はもっと指導されなくてはと思います。


脳は入れるだけで働かない、出すことをしなければ、と教えられたことがあります。食べるだけで出す事をしなかったら大変!なことになる。

この頃受講するというのは、さしてお腹はすいてないけど、料理が次々出てくるレストランに食べに行くっという感じでしょうか。出来上がった材料や調理を口にし、自分に合ったものだけ食して、値段の割にどうだったと評価するような食べ歩きに似ています。


さて、この間の研修は。

最初に「朝食食べましたかー?」と受講者に問いかけました。うなずいたり、笑顔をみせることはあっても、「はい」と声に出した人は一人もいませんでした。

「何を食べましたか?」 これはことばで言わなければならない質問ですが、誰も言葉を発しません。

隣りの人と何かをしあうという時にも、お互い同士が遠慮しあってかやらない人がかなりいました。

コミュニケーションの研修にきていてこれですから、推して知るべしでしょう。


最終的には言語障害の人に知りたい事を尋ねるという実習をしましたが、何をどう言えばいいのか分からず立ち往生、的を得た質問はなかなか出てこなかったです。自分たちのコミュニケーション能力はこんな状態だということは知ってくれたのではないかと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

研修について

先日ある研修に講師として行ってきました。

受講生は40名、ほとんどが高齢者の介護や相談に携わる方たちです。

研修の題名は「失語症・構音障害」。内容については私の得意とするところなので悩みませんが、1日5時間をどういう切り口で研修してもらうかを結構な時間を使って考えました。

例えば、40人、一斉にするか、グループにするか。

スライドにするかプリントにするか。プリントはどのようにすれば効果的なプレゼンになるか。

受講者同士がコミュニケーションしたり、演習したり出来るにはどうしたらよいか。などです。

それぞれ自分で答えを出して、研修に臨みました。

受講者のレベル(失礼)に合わせて、結果、目的達成を果たすのが私の仕事であるので、「難しかった」「わかりにくかった」と言わせたら、私の失敗と考えるようにしています。結果が悪ければ、受講生のせいにはしたくない。

しかし、

開始から1時間位を見ていた人(研修係りの人)は、後ろから見ていて「反応がない」という感想をいただいた。「研修慣れ」「派遣されて来ている人が多く、本人が困って、知りたいからという訳ではない」ということもあるようです。

成程。コミュニケーションが対等な共同作業であるように、研修もそうですね。

受ける側の教育も大事です。後輩STについても、最近の若い人はこんなものだ、とあきらめて甘やかさず、どうしたら積極的に関心持って、学ぶ楽しみを体得してもらうか。

日本の、あるいはその人の環境が今を作っているので、そう簡単にはいかないことですが、畑は広いのに耕していないので、水も栄養もきちんとしみ込んでいかない状態のようです。もったいない状況です。

ちなみに、研修の初めと終わりに同じ簡単な質問に答えてもらうようにしましたが、その結果は次のようなものでした。

12点満点で 第1回目の平均点 7.95⇒ 第2回目の平均点 10.49 

有意差は出たのでしょうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第6回四国言語聴覚学会 に参加して

第6回四国言語聴覚学会は、23日(日)松山市で開催された。

大雨にも関わらず四国四県から参集し、学会場はほぼ満席(300席近く)であった。

学会後に 協会の生涯学習プログラム専門講座 をくっつけたことで出席意欲が上がったのかもしれない。しかし、一方で365日勤務の施設が増え、日曜が休みにならないところでは、参加したくても出来ない状況になってきている。四国学会も様変わりすることだろう。

午前中、<一般演題> 各県からの発表が9題あり、質問とコメントで発表内容を深めていった。

さすがにコメンテータ―の言葉がそれぞれ的を得ていて、聴衆者も発表者本人も目を開かせてもらったと思う。苦労した人ほど得るものが大きいとは、いつも言える真実だ。

午後は<特別講演> 高次脳機能障害について 当事者の父親から、7年間の経過とその時々の気持ちやささえを、池田 学先生からは、その症例と関連させながら、また別の3症例も紹介しながら、症状や障害について整理して話して下さった。そして、支援のためにすべきことは何かについても具体的に示された。

お父様から、重くて貴重な体験を私たちに披歴していただいたことを感謝して、STが目の前にいる方に対して、出来ることを丁寧にやっていくことでお返しをしていくのだぞと思ったことだった。

四国学会で私のこころに残っているもう一つの言葉は 演題③で「自閉症は障害ですか?」と言われたということである。

私たちは何と答えるだろう。「高次脳機能障害といわれるいくつかの症状、それを持っている人は障害者ですか?」 と問われたら、私たちは何と答えるだろう(すでに障害と言っているのだが)。外側から、あるいは治療者側から、あるいは日本の社会の価値観だけから見ていると、この人を満足させることは出来ないだろう。障害をどうみるかは自分の生き様と関わるくらいの大きな課題である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

困苦悲哀 笑い飛ばして みな元気

毎年楽しませてくれる「サラリーマン川柳」

2010年今年のベスト10は?

1、仕分け人 妻に比べりゃ まだ甘い

2、「先を読め!」言った先輩 リストラに

3、ただいまは 犬に言うなよ オレに言え

4、「離さない!」 10年たつと 話さない

5、すぐ家出 諭吉はわが家の 問題児

6、先を読め 読めるわけない 先がない

7、こどもでも 店長なのにと 妻なげく

8、体脂肪 燃やして発電 出来ないか

9、70歳 オラの村では 青年部

10、妻キレて 来とうなかった 嫁になど

| | コメント (0) | トラックバック (0)

表題を 新・高知県言語聴覚士会 に変えました。

「高知県言語聴覚士会」で検索すると、以前に作っていた高知県言語聴覚士会のホームページが出てきて、入りにくいという声があり、名前に「新・」をつけて 「新・高知県言語聴覚士会」 に変えました。

1週間くらいすると、上の方に出てきて、入りやすくなると思います。登録をよろしくお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

こころのチキンスープ「ひと瓶のジャム」

 ペ、ヨンジュンさんが紹介してくれたこの本『こころのチキンスープ』には暖かい励ましや慰めがある。私が知る限りシリーズで7巻出ているが、その中の6にある「ひと瓶のジャム」をここに紹介する。

 ときは1933年。おりからの不況で、私はパート先から一次解雇を言い渡され、家に食費を入れることができなくなりました。私たち一家は、母が裁縫の内職で稼ぐわずかなお金で生活するほかありませんでした。

 しかし、その母も病気になって数週間寝込んでしまいました。ついに働き手を失った我が家は電気代が払えなくなり、電気を止められました。それから、ガスも水道も止められました。その後、水道だけは、衛生上の問題から市の衛生局がもとに戻してくれました。

 戸棚の食料も、ついに底をつきました。我が家に野菜畑があったのは幸いでした。私たちは、とれたての野菜を裏庭でたき火をおこして料理をし、飢えをしのぎました。

 そんなある日、妹が学校から小走りに帰ってきて言いました。
「明日学校にね、貧しい人たちにあげるものを何か持って行くんですって」
母が噛みつくように言いました。
「私たち以上に貧しい人間がどこにいるっていうんだい!」

 そのとき、当時一緒に住んでいた祖母が、母の腕にその手をかけ、眉を寄せて母をたしなめました。
「エバ、こんな小さな子供に自分は貧しいって考えを植え付けてしまったら、この子は一生自分を貧しい人間だと思って暮らすことになるんだよ。うちで作ったジャムがひと瓶残っているから、それを持たせればいいじゃないか」

 祖母は、薄紙とピンクのリボンの切れ端を見つけてきて、自家製ジャムの最後のひと瓶をラッピングしました。次の日、妹は「貧しい人への贈り物」を誇らしげに手に持って、軽快な足取りで学校へ行きました。

 それ以来、この村で何か問題が起こるたび、妹は当然のように、困っている人々に手を差し伸べようとするのでした。
                  エドガー・プレドソー

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「千手観音My夢Dream」という公演

Top2009sp1_r_3 

 4月14日県民文化ホールで中国障害者芸術団による「千手観音My夢Dream」という公演に行ってきた。4年ほど前テレビで紹介されていて知ったのだが、聴覚障害があるにもかかわらず、10数名が1列に並んで踊る姿が、まさに千手観音のように見えた。

 本物を見たいと思っていたのだが、偶然高知公演があることを知り、S席を取って楽しみに待っていた。

 公演は、肢体の障害者2名を含め、聴覚障害者、視覚障害者、40数名が、歌い踊り演奏するというものだった。脚の長いバレリーナは14歳、頭の毛が薄くなった男性もいた。年齢も障害も生い立ちもそれぞれ異なる人たちが一体になって、それこそ呼吸を合わせて演じていた。

 集団でやることの難しさ― 一人でやるのはむしろたやすいのだと思った。どの世界にも天才がいて、その能力を発揮して活躍し感動を与えている人は多い。去年クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した辻井 伸行さんの音楽も、私は好きで聞くたび引き付けられ揺さぶられる。でも驚くのは、指揮者が見えないのにオーケストラの一員になって弾いている辻井さんの姿であった。

 聴覚障害の場合、どうやってリズムや音楽を感知するのか興味があった。前の人に息を吹くとか、大太鼓のような振動するものがあるのか? そうではなかった。前面の袖に2名の指揮者がいて、音楽に合わせて指や手を動かし合図を送っていた。この人の動きのなんときれいなこと。ほれぼれするような指導者だった。

 今でこそこの人たちは世界的に認知されて、北京のパラリンピックの開会式の大舞台に立つほどになったが、ここまで来るにはどれだけの汗と涙を流したことか。そして、維持していくために今もこれからもはてしなく続く努力の道であろう。と思うと複雑だった。

 聴覚障害者の「千手観音」を通してもうひとつ、国の障害者教育について考えさせられた。ただ日常生活困らない生き方などといった程度にとどまらせず、芸術という付加価値をつけて送り出している教育に日本も学ばなければならないと思ったことだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ブログ『サロン de みかん』を立ち上げました。

今日、上記のブログ 『サロン de みかん』 を立ち上げました。

こちらは全く個人的趣味の範囲のもので、かわいい色の気楽なサロンです。

いろんな領域の人とコミュニケーションが出来たら良いなと思います。

こちらの方へもお越しください。

http://blog.ap.teacup.com/mikan65/

| | コメント (0) | トラックバック (0)